【北陸新幹線福井駅に二・二六事件のテーマパーク発見!】その真相は?

駅前の様子 ちょっと休憩

「年賀状シリーズ」に加え、新シリーズ「何じゃコレ?珍十景」を始めましたが、今回で最後の十景目となりました。最後になってこんなに重いテーマになるとは夢にも思いませんでしたが、勉強の合間に一息ついていただければ幸いです。

 

これまでの「何じゃコレ?珍十景」

第一弾 霊峰白山。豪雪地帯の山中で宇宙人が作った「巨大な雪壺」を発見?!

第二弾 昭和のヒーロー「ジャイアント馬場」さんの超特大スリッパを発見?!

第三弾 【歴史的発見?】あのビヨン・ボルグのラケットが後輩の細君の手に!

第四弾 【日本人の外人コンプレックス発見⁉】日本人は昔より大きくなった?

第五弾 「落書き」と「芸術」の違いを発見⁉バンクシーならどこまで許される?

第六弾 【本当にあったキョワ~イ話】快楽を求めたマジメ人間が見た錯覚とは?

第七弾 【仏教界を揺るがす喉(のど)仏の真実発見!】皆さんご存じでしたか?

第八弾 【コロナ渦で新種のワニ発見⁉】二本の角が生えたって、ホントの話?

第九弾 【ロシアオリンピック委員会の矛盾発見⁉】え~戦争にも応用される?

第十弾 【北陸新幹線福井駅に二・二六事件のテーマパーク発見!】真相は?

 

 

下記の写真は、2024年春に開業予定となっている北陸新幹線の福井駅の様子ですが、
ナント! その駅前広場に、あの「二・二六事件」で首相の身代わりになって殺された松尾伝蔵の胸像と、本命の標的であった岡田啓介首相の銅像が立っているではありませんか⁉

 

駅前の様子

 

まさか、この街は、北陸新幹線の開業に合わせ「二・二六事件のテーマパーク」を造って、全国から注目を浴びようとしているのでしょうか?
確かこの街には、柴田勝家お市の方といった歴史的価値の高い有名人がいたのに、それを差し置いて何で駅前広場に「二・二六事件」をもってきたのでしょうか?  興味が湧いたので調べてみることにしました。

 

ところで「二・二六事件」って、どんな事件だったけ?

二・二六事件は、今から約86年前の1936(昭和11)年2月26日、陸軍内で皇道派と呼ばれた一部の青年将校らが「昭和維新」を求めて断行したクーデター未遂事件です。

 

歩兵部隊約1,500名は、複数のグループに分かれて高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監らを暗殺、鈴木貫太郎侍従長後の終戦時に首相になる)に重傷を負わせたほか、首相官邸警視庁も襲撃しました。

 

二二六事件

 

 

 

この時、首相官邸にいた総理大臣は、海軍出身の岡田啓介(福井市出身)でしたが、秘書官の松尾伝蔵(岡田の義弟)の機転で首相は女中部屋に隠され、当の松尾伝蔵が岡田啓介首相の身代わりとなって暗殺されたのです。

 

脱出劇

          

-当時の再現ドラマ-
反 乱 軍:「岡田首相はどこにいる、捜せ、捜せ、絶対隠れているぞ。」
松尾伝蔵:「総理、大変です。軍隊が襲ってきました。どうかお逃げください。」
岡田啓介:「いや、私は逃げない。死ぬことは怖くない。」
松尾伝蔵:「何をおっしゃるのです。あなたにはまだ大切なお仕事が残っています。」

そう言って、松尾伝蔵は、死を覚悟した岡田首相を無理やり女中部屋に隠し、自ら反乱軍の前に(首相らしく見せかけ)出て行き、首相の身代わりとなって銃殺されました。それでも姿勢を崩さず、凛とした姿で息絶えたそうです。

 

 

事件後、昭和天皇(当時34歳)激怒し奉勅命令を出して決起部隊を「反乱部隊」とみなし4日間で鎮圧しました。後に開かれた軍法会議は「非公開、弁護士なし、一審のみ」で刑を確定し、青年将校17名を死刑(内2名は裁判前に自決)にました。

 

処刑

 

 

 

生き残った岡田首相は、頼りにしていた高橋是清蔵相と義弟を一挙に失い、強い自責の念に駆られ憔悴しきっていました。昭和天皇は、岡田首相が自決するのではないかと深く危惧されたそうで、岡田内閣は1936年(昭和11年)3月9日に総辞職しました。

 

太平洋戦争末期、岡田啓介元首相は、同事件で命拾いをした鈴木貫太郎首相(事件当時は侍従長)と連携し、和平工作と東条内閣打倒に尽力します。奇しくも二・二六事件で生き残った二人が終戦を導き出したことに神がかり的な運命を感じます。

 

 

いくら何でも可哀そう過ぎでしょう!

「これは凄いテーマパークを新幹線の駅前に造ったもんだ⁉」と思いきや、コトの真相を聞いてガッカリしました。

 

ナント!別の公園にあった岡田啓介の銅像は、公園のリニューアル工事によって行き場を失っていました。そこに渡りに船ならぬ渡りに新幹線がやって来て、開業まじかの新幹線駅広場にその銅像を持って来たそうです。
そこで、ストーリー性を持たせたかったのでしょうか?  近くの小学校に置いてあった松尾伝蔵の胸像を引っこ抜いてきて横に並べたそうです。

 

 

並べて喜ぶ

 

何とも安上がりなプランで、今はやりの「廃棄物ゼロのエコプラン」ということでは感服する次第ですが、両氏の人物像を推し量るに、彼らは決してこのような目立った場所に並びたくないし、ましてや岡田啓介は自分より遥かに小さい松尾伝蔵の胸像を見て悲しんでいると思うのです。

 

新幹線開業という千載一遇の檜舞台なんですから、少なくとも二人の大きさが同等である銅像を新調し、訪れる人に彼らが歩んだ歴史と功績を伝えて欲しいものです。

 

 

えっ、事件の一週間も前に「殺される人」が判っていたの?

2019年8月15日放映の「NHKスペシャル 全貌226事件最高機密文書」によれば、私たちが歴史教科書で習った二・二六事件は、真相のごく一部に過ぎなかったことが分かりました。

 

海軍の野望

 

ナント!日本海軍は、事件発生直後から現場に「調査部隊」や、密かに設置した「見張所」から分単位で緊迫した状況を記録していました。また、陸軍幹部が事件の裏側で行っていた知られざる会談や、反乱を超えた大規模な内戦になることまで想定し、海軍独自で周到な準備をしていたことが極秘文書で明らかにされたのです。

 

 

驚くことに海軍は、事件の一週間前から事件の首謀者や殺害予定者を把握しており、国家の運命を分ける転換点を傍観していたのでした。
想像の域を超えませんが、殺された前首相の斎藤実(まこと)も岡田首相と同じく海軍出身者だったので、この二人にだけは殺害計画が伝わっていても不思議ではありません。もしかして、首相官邸だけには殺害予告が伝わっており、秘書の松尾伝蔵が一芝居打てる余裕があったのかも知れません。


2.19

 

 

まとめ

日本の一番長い日

昭和天皇は、晩年、生涯忘れることがなかったことを二つ挙げていました。それは、自らの決断で終わらせた終戦の日」と「二・二六事件」でした。
映画「日本のいちばん長い日」では、もっくんが昭和天皇を演じていましたが、その胸中、苦悩がよく伝わってきました。また、二・二六事件で命拾いした鈴木貫太郎首相(配役は山崎努)の活躍ぶりもよくわかりました。

 

残念ながら首相退陣後の岡田啓介は、歴史の表舞台に登場することはありませんでしたが、鈴木貫太郎と同様、天命に従って終戦に尽力したことは忘れてならないことだと思います。

 

ですから、他の場所から引っこ抜いてきた整合性のない銅像を並べただけでは、岡田啓介の偉業は伝わりません。もっとお金をかけて真剣に取り組んで欲しいものです。また、何よりも岡田啓介の心中を察し、松尾伝蔵の像を岡田と同等の大きさにして、二人の思いを後世に伝えて欲しいものです。

 

 

あるべき姿

 

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